Mr CB ミスターシービー 昭和を代表する、3冠馬の1頭

(共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信通 信杯)を制覇した、現役時代のミスターシービー 東京競馬場・S58年)

1983年当時・グッドルッキングホースといわれ、三大競争ともいわれる、皐月賞・日本ダービー・菊花賞の、三冠レースをを制覇し、シンザン以来19年ぶりに三冠馬に輝き、1984年の天皇賞・秋では、四冠を達成し、完全復活を果たした馬でありながら、翌年の三冠馬・シンボリルドルフを倒せないまま、競争生活にピリオドを打った、ミスターシービー、その戦績も15戦8勝の成績を残した、黒鹿毛の馬だ。

1980年4月7日・北海道・浦河郡・浦河町の岡本牧場で千明牧場の名義で生産された、ミスターシービー(みすたあ しいびい)は、牡・3歳(現・牡・2歳)の時に、美浦・松山康久厩舎(すでに解散。)に入厩し、1982年(昭和57年)11月6日・東京競馬場で行われた、サラ系3歳新馬戦(現・メイクデビュー・東京) 1着で中央競馬にデビュー、ミスターシービーは、黒松賞でも2勝目を挙げたものの、ひいらぎ賞では、ウメノシンオーをかわすことが出来ず、初の敗戦を帰したが、1982年の最優秀3歳馬に選出されたのです。

1983年・牡・4歳(現・牡・3歳)になった、ミスターシービーは、緒戦の共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)で、ひいらぎ賞で優勝した、ウメノシンオー以下を下して優勝、3勝目を挙げると、中山競馬場で行われた、報知杯弥生賞を制覇して4勝目、同競馬場で行われた、皐月賞にコマを進めたが、この時、ライバル馬の1頭・メジロモンスニーも参戦してのレースとなり、それを抑えて、1着となり、三冠レースの1冠目を奪いとったのです。
(第50回・日本ダービーを制覇して、2冠目を達成した時の、ミスターシービー(Mr CB) 東京競馬場で。)

1983年5月29日・東京競馬場で行われた、第50回・日本ダービーに、出走した、ミスターシービー、この時、12番のゼッケンをつけて、出走した。

ミスターシービーの名前・CBとは、千明牧場のイニシャルネームで、当時のミスターとは、東京読売巨人軍の長嶋茂雄で、もし、トウショウボーイとシービークインの仔が、千明牧場を代表する男馬になってほしいという願いを込め、この馬にミスター(Mr)の称号を送ったことから、この名前になった。

ミスターシービーは、2着のメジロモンスニー以下を抑えて、優勝、二冠を達成した。

しかし、キクノフラッシュの進路が狭くなったとの事で、一時・審議になったが、3万円以下の過怠金(罰金)が3名、騎乗停止(6月30日まで。)が、1名の、計・4名に上った。

Mr.CB「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒヒヒ~ン。」

ミスターシービーは、大きい雄たけびを鳴らした。

検査施設に行かれた、ミスターシービーは、大きいおしっこ(尿)を出しては、検査筒に入れていたのです


二冠を達成した、ミスターシービーは、長い休養に入りましたが、夏風邪で、牧場に放牧に出せず、美浦・松山康久厩舎で過ごすことになりました。

美浦・松山康久厩舎。

ミスターシービーは引退までの間、長く過ごしていました。

Mr.CB「ファ~!」

Mr.CB「ウ~~~~!」

Mr.CB「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」

ミスターシービーは大きい💩(うんち)を出してやりました。

ミスターシービーは大きいうんこを落として体を整えていました。

秋に入り、菊花賞トライアルとして知られた、京都新聞杯に、ミスターシービーは出走させたものの、2敗目を帰していました。


(第44回・菊花賞で、19年ぶりに三冠馬となる、ミスターシービー。)



1983年11月13日・第44回・菊花賞が、京都競馬場で行われ、当時・単枠指定馬として出走していた、ミスターシービーは、2着の馬などを抑えて優勝し、19年ぶりに三冠馬に輝いたのです。

1983年の年度代表の馬に輝いた、ミスターシービーは、牡・5歳の時の、1984年10月28日・東京競馬場で行われた、、第90回・天皇賞・秋で、1分59秒3のレコードタイムで優勝、四冠馬に輝くと共に。完全復活をアピールしました。

それが、ミスターシービーが勝利を果たした、最後のレースになろうとは、想いもよりませんでした。

ミスターシービーは、1985年(昭和60年)・牡・6歳の時に、京都競馬場で行われた、第91回・天皇賞・春で、皇帝馬・シンボリルドルフの5着に終わったのを最後に、骨膜炎がもとで、惜しくも引退、10月6日(日曜日)・東京競馬場で行われた、引退式は、ゼッケン番号・13番で登場し、ラストランを行い、ターフに別れを告げました。
(1985年10月6日・東京競馬場であいにくの雨の中行われた、ミスターシービー(Mr.CB)の引退式。)

ミスターシービー(Mr.CB)は、1986年(昭和61年)から、北海道・勇払郡・早来町(現・安平町)源武276番地の、社台スタリオンステーション・早来で、種牡馬として繋養を開始し、1992年には、レックス(LEX)スタッドに移動して、1999年(平成11年)に、秋の種付けシーズンで引退するまで繋養生活を送り、2000年(平成12年)には、功労馬として、千葉県・成田市・本城の、千明牧場・三里塚分場で、繋養されていましたが、2000年(平成12 年)12月15日・蹄葉炎による衰弱の為、牡・20歳(人間に例えれば、60~70歳前後)で、息を引き取りました。

この間、1986年(昭和61年)には、長年の功績により、顕彰馬にも選出された様で、今後も、天国に今も眠る、ミスターシービー(Mr.CB)を見守っていこうと想い、願っております。

グッドルッキングホース・ミスターシービー(Mr.CB)の、さらなるご冥福をお祈りしたいと想い、願っております。






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