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皇帝・シンボリルドルフ 牡・30歳で死去する。

1981年3月13日・パーソロンと、スイートルナの仔として生まれ、史上初・無敗の三冠馬に輝くなど、16戦13勝の成績を残し、1984・1985年の、優駿賞(現・JRA賞)・年度代表馬に2回選定され、1987年には、顕彰馬にも選定された、皇帝馬・シンボリルドルフ(SYMBOLIRUDORLF・毛色・鹿毛)が、10月4日・午前3時頃、老衰の為・千葉県・成田市のシンボリ牧場で亡くなりました、享年・牡・30歳で、人間に例えれば、90歳~120歳という、大往生でした。 シンボリルドルフは、3歳(現・2歳)の時の、1983年・新潟競馬場で行われた、サラ系3歳新馬戦(現・メイクデビュー新潟)・1着で、美浦・野平祐二厩舎(すでに解散済)から、競走馬デビューを果たし、いちょうステークス・サラ系3歳オープン・報知杯弥生賞・皐月賞・日本ダービー・ラジオ日本賞セントライト記念・菊花賞(第45回)・天皇賞・春(第91回)・ジャパンカップ・グランプリ有馬記念(1984・1985年・2回)など、16戦13勝の成績を果たしたのでした。 1986年3月29日(日本時間・3月30日)・アメリカ・サンタアニタパーク競馬場で行われた、サンレイルイレイステークス(現・サンルイレイハンデキャップ)に、参戦し、6着に甘んじたのを最後に、惜しくも現役を引退した、シンボリルドルフは、翌年の1987年から、門別のシンボリ牧場で、種牡馬入りし、これまでに、トウカイテイオーなど、多くの産駒を輩出し、2004年に引退するまで繋養生活を送りました。 種牡馬引退後は、門別のシンボリ牧場で功労馬となり、翌年(2005年)からは、千葉県・成田市の、シンボリ牧場で余生を送っていましたが、10月頃には体調を崩しており、栄養剤を投与するなどしておりましたが、遂に午前3時頃、老衰の為、息を引き取りました。 生きている昭和生まれの、三冠馬では、2000年の12月15日に、グッドルッキングホース・ミスターシービーが、蹄葉炎による衰弱の為、同じ、千葉県成田市本城の、千明牧場・三里塚分場で、牡・20歳で亡くなり、シンボリルドルフが、最後まで生きていました。 一方で、平成生まれの、三冠馬では、サンデーサイレンスとウインドインハ-ヘアの産駒・ディープインパクトが、2007年から種牡馬として、社台スタリオンステーション・早来で、種牡馬入りして

女傑・ウオッカ 遂に、初年度産駒を出産。

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2010年6月3日(日本時間・6月4日)に、凱旋門賞馬・シーザスターズの間で、3度目の種付け配合を行い、無事に、受胎が確認され。成功した、すっぴんな鹿毛の馬・女傑・ウオッカ(VODKA・2004年4月4日生まれ・牝・7歳・毛色・鹿毛)が、5月2日(日本時間・5月3日)に、アイルランド・キルディア近郊の、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで、初年度産駒・ウオッカの2011を、カントリー牧場(北海道・日高郡・新ひだか町)の名義により、13日遅れで、無事・出産しました。 ウオッカは、現役時代、新馬戦・阪神ジュベナイリーズフィリーズ・チューリップ賞・日本ダービー・ヴィクトリアマイル・安田記念(2回)・天皇賞・秋・ジャパンカップなど、22戦10勝の成績を上げており、2006年・JRA賞・最優秀2歳牝馬を総なめにした他、2008年・2009年の、JRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬に選定され、2007年には特別賞を受賞しましたが、2010年3月4日(日本時間・3月5日)・ドバイ・メイダン競馬場で行われた、ドバイワールドカップ・マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド3で、レッドディザイアの8着に終わったのを最後に、惜しくも、鼻出血症の為、現役を引退し、3月18日(日本時間・3月19日)付けで、競走馬登録を抹消しました。 女傑・ウオッカ(VODKA)は、2010年4月から、アイルランド・キルディア近郊の、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで繁殖牝馬として繋養生活を送っていて、現在に至っており、これまでに、凱旋門賞馬・シーザスターズと、2回種付け交配を行いましたが、不受胎に終わっていて、6月3日(日本時間・6月4日)、3回目の種付け交配で、無事・受胎が確認され成功し、妊娠生活を送っていましたが、今年の4月頃からお産が始まり、予定日の4月19日(日本時間・4月20日)を過ぎても、難産が続き、13日遅れた、5月2日(日本時間・5月3日)になり、無事・黒鹿毛の男馬である、ウオッカの2011を出産しました。 今回、無事に出産した、女傑・ウオッカ(VODKA)の、初年度産駒は、黒鹿毛の牡馬で、うまく成長すれば、2013年に、外国産馬の、逆輸入馬として、日本で競走馬デビューする事になっており、所属も、女傑・ウオッカ(VODKA)が、現役時代にお世話になった、角居勝彦厩舎(栗東)に所属

ハットトリック 10歳の誕生日を迎える。

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サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔・ハットトリックが、昨日・26日(日本時間・今日・27日)に、まる10歳の誕生日を迎えました。 ハットトリックは、2001年生まれ、北海道・勇払郡・追分町(現・安平町)追分向陽1233-1の、追分ファーム生産の、日本産の青鹿毛馬で、現役時代、美浦・清水美波・栗東・角居勝彦 両厩舎に所属、関東馬としてデビューしましたが、転厩で関西馬になり、ナリタブライアンメモリアル・清水ステークス・スポーツニッポン賞金杯(西・京都金杯)・東京新聞杯・マイルチャンピオンシップ・香港マイルなどに優勝し、21戦8勝の成績を残し、2005年のJRA賞・最優秀短距離馬にも選定されるなど活躍しましたが、2007年5月8日に惜しくも現役を引退、同年の5月10日付けで登録を抹消、山元トレーニングセンターでの検疫検査をへて、5月27日・飛行機で、繋養先・アメリカへの種牡馬生活に向けて出発、長年住んだ、日本を後に海を渡りました。 ハットトリックは、2008年から、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊の、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)を拠点として、シャトル種牡馬として繋養生活を送っていて、現在に至っており、初年度は、オーストラリア・インディペンデントスタリオンズにて繋養され、2009年3月から、昨年の秋までは、アルゼンチン・ブエノスアイレス近郊の、Haras El Malin(エルマリン牧場)で、半年間シャトル種牡馬として繋養生活を送っていました。 まる10歳の青鹿毛馬になった、ハットトリックの今年度の種付け料は、6000万ドルに設定されており、南アフリカでのシャトル種牡馬としての繋養生活も予定されている、ハットトリックの今後の活躍を期待したいと想い、願っております。 Link Page WALMAC FARM LLC http://www.walmac.com/

ハットトリック ウォルマックファームに戻る。

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現役時代、マイルチャンピオンシップ・香港マイルなど、21戦8勝の成績を残していて、2005年のJRA賞・最優秀短距離馬受賞馬であり、2008年から、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊の、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)を拠点として、シャトル種牡馬として繋養生活を送っている、チャンピオンマイラーホース・ハットトリック(HATTRICK=1選手が1試合で3得点以上を挙げること(サッカー用語)・父・サンデーサイレンス・母・トリッキーコード・毛色・青鹿毛・2001年4月26日生まれ・日本産(北海道・追分町(現・安平町)・追分向陽1233-1 追分ファーム・生産)・血統名・トリッキーコードの2001・牡・10歳)が、2009年3月から、半年間の間、シャトル種牡馬として繋養生活を送ってきた、Haras El Malin(エルマリン牧場・アルゼンチン・ブエノスアイレス近郊)での種付け配合の仕事を終え、馬運車で、Haras El Malin(エルマリン牧場)を出発、ブエノスアイレス空港に向かいました。 ハットトリックは、種牡馬生活初年度の、2008年の8月に、オーストラリア・インディペンデントスタリオンズにも、シャトル種牡馬として繋養生活を送っており、今回のアルゼンチン・ブエノスアイレス近郊の、Haras El Malin(エルマリン牧場)で、2例目のシャトル種牡馬生活となりました。 ブエノスアイレス空港に到着した、ハットトリックは、いよいよ、ストールに入り、名残惜しい、ブエノスアイレス近郊の、Haras El Malin(エルマリン牧場)での、シャトル種牡馬での生活ぶりを、見せておりました。 馬運車で出発の際、Haras El Malin(エルマリン牧場)のスタッフに見送られたという、サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔、チャンピオンマイラーホース・ハットトリックは、飛行機に積み込まれた後、同機で、ケンタッキー州・レキシントン近郊にある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)のある、アメリカに向けて出発、名残惜しいアルゼンチンを後に帰国の途に就きました。 ハットトリックは、アルゼンチンから長い空路の末、アメリカ・ケンタッキー州のブルーグラス空港に到着、馬運車に積み替えて、レキシントン近郊の、WALMAC FA