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ブエナビスタ 遂に引退、繁殖牝馬になる為故郷に帰る!(2)

ブエナビスタとは、スペイン語で、素晴らしい眺め・絶景という意味、父・スペシャルウイーク・母・ビワハイジの仔として生まれた鹿毛の馬、素晴らしい成績を残せるようにという願いを込めて命名された、鹿毛のサラブレッド、それが、ブエナビスタです。 12月29日・午前11時25分、ブエナビスタは、北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地にある、生まれ故郷・ノーザンファームに到着、長い旅を無事に終えて、ブエナビスタは、繁殖牝馬専用厩舎の、母・ビワハイジの隣の馬房に入りました。 「カポ、カポ、カポ、カポ、カポ、カポ。」 ブエナビスタは、生まれ故郷・ノーザンファームに帰ったのです。 ブエナビスタは、大きい鹿毛の馬体に、生まれ故郷・北海道の大自然に抱かれながら、育った、美しい鹿毛のサラブレッドです。 1歳の時の、ブエナビスタは、ノーザンファームの放牧場で、戯れながら、走って遣りました。 「ヒヒヒヒヒヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒヒ~ン」 幼少時代の、ブエナビスタ(当時・ビワハイジの2006)は、大きい声で、大自然の北海道の空に鳴き声を出していました。 「ブルルルルルルル、ブルルルルルルルル!」 ブエナビスタは、幼少時代を想い出しながら、大きい鼻息を鳴らしてやりました。 「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン!」 ブエナビスタは、大きい声でいなないては、北海道の空に吠えていました。 いよいよ、ノーザンファームの放牧場に、ブエナビスタなどが、放牧されて行きます、寒い冬の、北海道も、雪が降った後とあって、雪だらけの銀世界に、ブエナビスタは、「パカッ、パカッ、パカッ。」と、走っては、吐く息を出して、放牧生活に慣れるのです。 今年・1月5日付で、松田博資厩舎から、ブエナビスタの、登録抹消届を、JRAが受理し、抹消されました。 本年から、繁殖牝馬として、ノーザンファームで生活を送ることになっている、ブエナビスタが、いい仔馬を産んでくれるのか、期待したいと想い、願っております。

ブエナビスタ 遂に引退、生まれ故郷へ、繁殖牝馬入りの為帰る。

ブエナビスタとは、スペイン語で、素晴らしい眺め・絶景という意味、父・スペシャルウイーク・母・ビワハイジの仔として、2006年3月14日に北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地の、ノーザンファームで生産された、鹿毛のサラブレッドで、ビワハイジの2006として生まれた、素晴らしい眺めの様な、成績を残せるようにという願いを込めて命名された、美しく綺麗な、鹿毛の牝馬のサラブレッド、それが、ブエナビスタです。 2歳の時の、2008年・メイクデビュー京都で、栗東・松田博資厩舎・所属の競走馬として、デビューした、ブエナビスタは、2戦目の、サラ系2歳未勝利戦で、初勝利を挙げまた。 初勝利を挙げた、未勝利戦から、駒を進めた、ブエナビスタは、阪神ジュベナイリーズフィリーズに出走し、2勝目を挙げたのです。 2009年3歳になった、ブエナビスタは、、桜花賞・優駿牝馬(オークス)・京都記念・天皇賞 秋などを制覇、昨年には、ブエナビスタは、第31回・ジャパンカップにも出走し、優勝を果たしました。 この間・2010年の11月に行われた、第30回・ジャパンカップにも、ブエナビスタは出走し、先頭に立ち、1着でゴールしましたが、2着のローズキングダムの進路妨害で長い審議となり、2着に降着となるなど、後味の悪い結末となったこともありました。 2011年12月25日・ブエナビスタは、第56回・グランプリ 有馬記念に出走させました。 ブエナビスタは、1番人気に支持されました。 前走のジャパンカップ(第31回)の制覇後、馬主のサンデーレーシングから、ブエナビスタは、第56回・グランプリ 有馬記念をラストランとして、年内いっぱいで引退、来年からの、繁殖牝馬入りが発表されました。 2006年3月14日に、ビワハイジの2006として、ブエナビスタは、生まれて以来、長く競走馬として活躍しました。 この間に、桜花賞・優駿牝馬(オークス)・京都記念・ヴィクトリアマイル・天皇賞 秋・第31回・ジャパンカップなど制覇した他、ドバイワールドカップなどにも出走する為、2回・ドバイにも遠征したこともありました。 2010年には、2010年のJRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬にも選出され、受賞しています。 いよいよ、ゲートインが始まり、ブエナビスタは、ゲートに収まりました。

HAT TRICK=ハットトリック GAINESWAYTHOROUGHBREDSTUDFARM(ゲインズウェイファーム)へ移籍。

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Link Page GAINESWAY THOROUGHBRED STUD FARM (2012年のシーズンから。) http://www.gainesway.com/ 2008年から、3年間、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)で、種牡馬として、繋養生活を送り、オーストラリアのインディペンデントスタリオンズやアルゼンチンのエルマリン牧場でもシャトル種牡馬として繋養生活を送った、サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔・HAT TRICK=ハットトリック(イギリス語で、1選手が1試合で3得点以上をあげる事の意味(サッカー用語)・毛色・青鹿毛・2001年4月26日生まれ・日本(追分ファーム 北海道・勇払郡・追分町(現・安平町)・追分向陽1233-1)産・牡・10歳・血統名・トリッキーコードの2001)が、このほど、同じ、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、お隣の、GAINESWAYTHOROUGHBREDSTUDFARM(ゲインズウェイファーム)に売却され、2012年のシーズンから、繋養生活を送ることになり、馬運車で、2008年の供用開始以来、3年間繋養生活を送ってきた、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)を後にしました。 HAT TRICK=ハットトリックは、現役時代・キャロットファームの所有馬として、日本で、牡丹賞・ナリタブライアンメモリアル・清水ステークス・スポーツニッポン賞金杯(西・京都金杯)・東京新聞杯・マイルチャンピオンシップ・キャセイパシフィック香港マイル(香港瓶)など、21戦8勝の成績を残しており、2005年の最優秀短距離馬にも選定されるなど活躍しましたが、2007年5月8日には、現役を引退、5月10日付で競走馬登録を抹消、その後、南アフリカと、アメリカを半年ごとに行き来する、シャトル種牡馬として繋養出来る様、種牡馬としてスタッドインすることになり、山元トレーニングセンターで出国検疫検査を受けた後、5月27日に飛行機で、名残惜しい日本を後に海を渡って行きました。 アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)には、6月の終わりに到着し

皇帝・シンボリルドルフ 牡・30歳で死去する。

1981年3月13日・パーソロンと、スイートルナの仔として生まれ、史上初・無敗の三冠馬に輝くなど、16戦13勝の成績を残し、1984・1985年の、優駿賞(現・JRA賞)・年度代表馬に2回選定され、1987年には、顕彰馬にも選定された、皇帝馬・シンボリルドルフ(SYMBOLIRUDORLF・毛色・鹿毛)が、10月4日・午前3時頃、老衰の為・千葉県・成田市のシンボリ牧場で亡くなりました、享年・牡・30歳で、人間に例えれば、90歳~120歳という、大往生でした。 シンボリルドルフは、3歳(現・2歳)の時の、1983年・新潟競馬場で行われた、サラ系3歳新馬戦(現・メイクデビュー新潟)・1着で、美浦・野平祐二厩舎(すでに解散済)から、競走馬デビューを果たし、いちょうステークス・サラ系3歳オープン・報知杯弥生賞・皐月賞・日本ダービー・ラジオ日本賞セントライト記念・菊花賞(第45回)・天皇賞・春(第91回)・ジャパンカップ・グランプリ有馬記念(1984・1985年・2回)など、16戦13勝の成績を果たしたのでした。 1986年3月29日(日本時間・3月30日)・アメリカ・サンタアニタパーク競馬場で行われた、サンレイルイレイステークス(現・サンルイレイハンデキャップ)に、参戦し、6着に甘んじたのを最後に、惜しくも現役を引退した、シンボリルドルフは、翌年の1987年から、門別のシンボリ牧場で、種牡馬入りし、これまでに、トウカイテイオーなど、多くの産駒を輩出し、2004年に引退するまで繋養生活を送りました。 種牡馬引退後は、門別のシンボリ牧場で功労馬となり、翌年(2005年)からは、千葉県・成田市の、シンボリ牧場で余生を送っていましたが、10月頃には体調を崩しており、栄養剤を投与するなどしておりましたが、遂に午前3時頃、老衰の為、息を引き取りました。 生きている昭和生まれの、三冠馬では、2000年の12月15日に、グッドルッキングホース・ミスターシービーが、蹄葉炎による衰弱の為、同じ、千葉県成田市本城の、千明牧場・三里塚分場で、牡・20歳で亡くなり、シンボリルドルフが、最後まで生きていました。 一方で、平成生まれの、三冠馬では、サンデーサイレンスとウインドインハ-ヘアの産駒・ディープインパクトが、2007年から種牡馬として、社台スタリオンステーション・早来で、種牡馬入りして

女傑・ウオッカ 遂に、初年度産駒を出産。

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2010年6月3日(日本時間・6月4日)に、凱旋門賞馬・シーザスターズの間で、3度目の種付け配合を行い、無事に、受胎が確認され。成功した、すっぴんな鹿毛の馬・女傑・ウオッカ(VODKA・2004年4月4日生まれ・牝・7歳・毛色・鹿毛)が、5月2日(日本時間・5月3日)に、アイルランド・キルディア近郊の、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで、初年度産駒・ウオッカの2011を、カントリー牧場(北海道・日高郡・新ひだか町)の名義により、13日遅れで、無事・出産しました。 ウオッカは、現役時代、新馬戦・阪神ジュベナイリーズフィリーズ・チューリップ賞・日本ダービー・ヴィクトリアマイル・安田記念(2回)・天皇賞・秋・ジャパンカップなど、22戦10勝の成績を上げており、2006年・JRA賞・最優秀2歳牝馬を総なめにした他、2008年・2009年の、JRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬に選定され、2007年には特別賞を受賞しましたが、2010年3月4日(日本時間・3月5日)・ドバイ・メイダン競馬場で行われた、ドバイワールドカップ・マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド3で、レッドディザイアの8着に終わったのを最後に、惜しくも、鼻出血症の為、現役を引退し、3月18日(日本時間・3月19日)付けで、競走馬登録を抹消しました。 女傑・ウオッカ(VODKA)は、2010年4月から、アイルランド・キルディア近郊の、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで繁殖牝馬として繋養生活を送っていて、現在に至っており、これまでに、凱旋門賞馬・シーザスターズと、2回種付け交配を行いましたが、不受胎に終わっていて、6月3日(日本時間・6月4日)、3回目の種付け交配で、無事・受胎が確認され成功し、妊娠生活を送っていましたが、今年の4月頃からお産が始まり、予定日の4月19日(日本時間・4月20日)を過ぎても、難産が続き、13日遅れた、5月2日(日本時間・5月3日)になり、無事・黒鹿毛の男馬である、ウオッカの2011を出産しました。 今回、無事に出産した、女傑・ウオッカ(VODKA)の、初年度産駒は、黒鹿毛の牡馬で、うまく成長すれば、2013年に、外国産馬の、逆輸入馬として、日本で競走馬デビューする事になっており、所属も、女傑・ウオッカ(VODKA)が、現役時代にお世話になった、角居勝彦厩舎(栗東)に所属

ハットトリック 10歳の誕生日を迎える。

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サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔・ハットトリックが、昨日・26日(日本時間・今日・27日)に、まる10歳の誕生日を迎えました。 ハットトリックは、2001年生まれ、北海道・勇払郡・追分町(現・安平町)追分向陽1233-1の、追分ファーム生産の、日本産の青鹿毛馬で、現役時代、美浦・清水美波・栗東・角居勝彦 両厩舎に所属、関東馬としてデビューしましたが、転厩で関西馬になり、ナリタブライアンメモリアル・清水ステークス・スポーツニッポン賞金杯(西・京都金杯)・東京新聞杯・マイルチャンピオンシップ・香港マイルなどに優勝し、21戦8勝の成績を残し、2005年のJRA賞・最優秀短距離馬にも選定されるなど活躍しましたが、2007年5月8日に惜しくも現役を引退、同年の5月10日付けで登録を抹消、山元トレーニングセンターでの検疫検査をへて、5月27日・飛行機で、繋養先・アメリカへの種牡馬生活に向けて出発、長年住んだ、日本を後に海を渡りました。 ハットトリックは、2008年から、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊の、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)を拠点として、シャトル種牡馬として繋養生活を送っていて、現在に至っており、初年度は、オーストラリア・インディペンデントスタリオンズにて繋養され、2009年3月から、昨年の秋までは、アルゼンチン・ブエノスアイレス近郊の、Haras El Malin(エルマリン牧場)で、半年間シャトル種牡馬として繋養生活を送っていました。 まる10歳の青鹿毛馬になった、ハットトリックの今年度の種付け料は、6000万ドルに設定されており、南アフリカでのシャトル種牡馬としての繋養生活も予定されている、ハットトリックの今後の活躍を期待したいと想い、願っております。 Link Page WALMAC FARM LLC http://www.walmac.com/

ハットトリック ウォルマックファームに戻る。

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現役時代、マイルチャンピオンシップ・香港マイルなど、21戦8勝の成績を残していて、2005年のJRA賞・最優秀短距離馬受賞馬であり、2008年から、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊の、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)を拠点として、シャトル種牡馬として繋養生活を送っている、チャンピオンマイラーホース・ハットトリック(HATTRICK=1選手が1試合で3得点以上を挙げること(サッカー用語)・父・サンデーサイレンス・母・トリッキーコード・毛色・青鹿毛・2001年4月26日生まれ・日本産(北海道・追分町(現・安平町)・追分向陽1233-1 追分ファーム・生産)・血統名・トリッキーコードの2001・牡・10歳)が、2009年3月から、半年間の間、シャトル種牡馬として繋養生活を送ってきた、Haras El Malin(エルマリン牧場・アルゼンチン・ブエノスアイレス近郊)での種付け配合の仕事を終え、馬運車で、Haras El Malin(エルマリン牧場)を出発、ブエノスアイレス空港に向かいました。 ハットトリックは、種牡馬生活初年度の、2008年の8月に、オーストラリア・インディペンデントスタリオンズにも、シャトル種牡馬として繋養生活を送っており、今回のアルゼンチン・ブエノスアイレス近郊の、Haras El Malin(エルマリン牧場)で、2例目のシャトル種牡馬生活となりました。 ブエノスアイレス空港に到着した、ハットトリックは、いよいよ、ストールに入り、名残惜しい、ブエノスアイレス近郊の、Haras El Malin(エルマリン牧場)での、シャトル種牡馬での生活ぶりを、見せておりました。 馬運車で出発の際、Haras El Malin(エルマリン牧場)のスタッフに見送られたという、サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔、チャンピオンマイラーホース・ハットトリックは、飛行機に積み込まれた後、同機で、ケンタッキー州・レキシントン近郊にある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)のある、アメリカに向けて出発、名残惜しいアルゼンチンを後に帰国の途に就きました。 ハットトリックは、アルゼンチンから長い空路の末、アメリカ・ケンタッキー州のブルーグラス空港に到着、馬運車に積み替えて、レキシントン近郊の、WALMAC FA