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スティンガー サンデーサイレンスとレガシーオブストレングスの仔として生まれた、鹿毛のサラブレッド。(2)

1998年の最優秀3歳牝馬に選出された、スティンガーは、明け牝4歳の最初の重賞・桜花賞にも挑戦したが、プリモディーネの12着に敗れ、デビュー4戦目にして初の敗戦を帰しています。 5月1日に東京競馬場で行われた、サンケイスポーツ賞4歳牝馬ステークス(現・サンケイスポーツ賞フローラステークス)に、出走したスティンガーは、2着のフサイチエアデールを抑えて、1着となり4勝目を挙げました。 2000年・5歳になったスティンガー、1月30日の京都競馬場で行われた、京都牝馬特別で、2着で同じサンデーサイレンス産駒のエイシンルーデンスを抑えて、5勝目を挙げました。 同年の5月14日に、東京競馬場で行われた、京王杯スプリングカップに出走した、スティンガー、2着で英国産馬のブラックホークを抑えて勝利を果たしました。 2001年5月13日・東京競馬場で行われた、京王杯スプリングカップに、2連覇を目指して、すでに5歳(旧・6歳)の鹿毛馬に成長していた、スティンガーは出走しました。 このレースでは、馬主である吉田照哉氏の母・吉田和子氏の所有馬・ゴールドティアラ(外国産馬)も参戦していました。 ゲートオープンと同時に、スティンガーは走り出しました。 ゴールをめざし、快調に走る、スティンガーは、先頭を走りぬけ、2着のスカイアンドリュウを抑えて優勝、連覇を達成しました。 スティンガー「ブルルルル。」 スティンガー「ヒヒ~ン。」 スティンガーは、大きいいななきで、勝利を果たしました。 検査所で、スティンガーは、いいおしっこを出しては、検査筒に入れていました。 スティンガー「バシャ――――――――!」 こうして、スティンガーは、京王杯スプリングカップを連覇で達成し、7勝目を挙げました。 それが、スティンガーが制した、最後のレースとなりました。 スティンガーは、通算成績21戦7勝を挙げるなど活躍しました。 サンデーサイレンスとレガシーオブストレングスの仔として生まれた、サラブレッドのスティンガーは、2002年3月23日に中京競馬場で行われた、高松宮記念で、ショウナンカンプの3着に入る健闘を見せたのをラストランに、現役を引退、同年の3月27日付で登録を抹消し、競走馬生活に終止符を打ちました。 かわいい、おてんばの女の子の馬、サラブレッドの

スティンガー サンデーサイレンスとレガシーオブストレングスの子として生まれた牝馬。

1996年5月15日に北海道・千歳市の、社台ファームで生産された、鹿毛のおてんばの女の子の馬、スティンガーは、サンデーサイレンスとレガシーオブストレングスの子として生産された、かわいいサラブレッドです。 スティンガー「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 スティンガー「パカッ。」 スティンガー 「ヒヒ~ン、ブルルルル。」 スティンガーとは、英語で針・刺す動物のこと、カクテル名でもあり、ブランデーと、ホワイト・ペパーミントをステアしたもので、1967年(昭和42年)・アメリカ・ニューヨークのコロナ・レストランで生まれた、食後酒の名前でもある馬です。 1998年・2歳になった時に、レガシーオブストレングスの1996からシフトチェンジした、スティンガーは、3月に行われた、産地馬体検査を受検、同時に、美浦・藤沢和雄厩舎と預託契約をかわし、2003年3月27日付で登録を抹消するまで、競走馬生活を送りました。 1998年11月8日の サラ系3歳新馬戦(現・メイクデビュー 東京競馬場)で、スティンガーはデビューしました。 スティンガーは、2着のハートブレイクヒルを抑えて、初勝利を挙げました。 スティンガー「ヒヒ~ン!」 スティンガーは、大きいいななきで、勝利しました。 1998年11月29日に東京競馬場で行われた赤松賞は、スティンガーにとって2戦目、相手が、アーミージャー産駒のステファニーチャンなど、牝馬だけのレースだけに、1番人気にこたえられるのか、注目されたレースになりました。 ゴール前でステファニーチャンなどを振り切って1着になったスティンガーは、2勝目を挙げるに至りました。 同年の12月6日・阪神競馬場で行われた、阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイリーズフィリーズ)は、3戦目のスティンガーにとって初の遠征競馬となり、栗東トレーニングセンターの出張厩舎にも入厩させての滞在競馬をしました。 相手が、外国産馬のエイシンレマーズの他、同じサンデーサイレンス産駒の、エイシンルーデンスなど、豪華な東西の牝馬たちがそろいました。 ジョッキーも、横山典弘騎手が騎乗しての参戦となりました。 スティンガーは、2着のエイシンレマーズ以下を抑えて1着となり、3歳女王に輝きました。 (その2へ。)

女傑・ウオッカの、母・タニノシスター 牝・20歳で亡くなる。

すっぴんで、かわいい鹿毛の馬・女傑・ウオッカなどを輩出した、タニノシスターが、7月9日・午前4時30分、老衰の為、北海道・日高郡・新ひだか町の、岡田スタッドで亡くなったことが、判明しました。 享年・牝・20歳で、人間に例えれば、60歳~70歳前後になります。 タニノシスターは、1993年3月22日生まれ・北海道・浦河郡・浦河町の、吉田実氏の生産の、栗毛のサラブレッドで、父・ルション・母・エナジートウショウの血統で、エナジートウショウの1993が血統名のサラブレッドです。 タニノの冠名で知られる、株式会社 タニミズ企画・元・代表取締役会長(元・代表取締役社長)谷水雄三氏(株式会社 タニミズ企画・代表取締役社長・谷水利行氏の父。)の、所有馬として、栗東・森秀行厩舎の所属馬として中央競馬で活躍し、33戦5勝の成績を残しました。 1999年から、北海道・日高郡・新ひだか町にある、カントリー牧場(2012年3月末で、閉鎖、生産設備を、岡田スタッド(ノルマンディーファーム・株式会社 ノルマンディーサラブレッドレーシングの経営母体となった牧場)、育成設備を、千代田牧場と、いずれも、北海道・日高郡・新ひだか町内の、競走馬生産牧場に売却されて、解散・清算された。)で、繁殖牝馬となった、タニノシスターは、初年度産駒として、タニノコロネションを送り出したのを始め、タニノエクセレント・ウオッカ・セレブリティなどの競走馬産駒を輩出しました。 中でも、現在・アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンにある、アガ・カーンスタッド・ギルタウンなどの、ヨーロッパ州で繁殖牝馬として繋養生活を送り、産駒を出産して輩出している、女傑・ウオッカは、現役時代、新馬戦・阪神ジュベナイリーフィリーズ・エルフィンステークス・チューリップ賞・日本ダービー・安田記念(2回)・ヴィクトリアマイル・天皇賞(秋)・ジャパンカップなどに優勝するなどとして、26戦10勝の成績を残しており、2007年5月27日に、東京競馬場で行われた、第74回・日本ダービー(東京優駿大競争)では、ヒサトモ以来、64年ぶりに牝馬が制覇を果たす偉業を達成しており、2006年の最優秀2歳牝馬を総なめにした他、2008・2009年の年度代表馬・最優秀4歳上牝馬に連続して選出されており、2007年には特別賞にも選定され、受賞

中世の叙事詩に登場する、 聖剣・デュランダル 死去。

歌劇・「ローランの歌」の、フランク王国の騎士・ローランの聖剣に由来し、中世フランスの叙事詩に登場する名剣にちなむ、デュランダル(DURANDAL=イタリア読みでドゥリンダナ・不滅の剣という意味)が、7月7日・繋養先の、ブリーダーズスタリオンステーション(北海道・沙流郡・日高町・門別)で、心臓麻痺の為、牡・14歳で死去しました。 デュランダルは、父・サンデーサイレンス・母・サワヤカプリンセスで、1999年5月28日生まれ・社台ファーム(北海道・千歳市)生産の栃栗毛馬、2歳の時に、栗東・坂口正夫厩舎・所属の競走馬としてデビュー、スプリンターズステークスにも優勝した他、マイルチャンピオンシップにも2回優勝、2003・2004年の最優秀短距離馬にも、選出されたサラブレッドです。 デュランダルは、2005年11月20日・京都競馬場で行われた、第22回・マイルチャンピオンシップに3連覇をかけて、単勝1番人気に支持されて出走しましたが、同じサンデーサイレンス産駒の馬で、トリッキーコードの仔であり、現在もアメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、ゲインズウェイ・ファーム(代表・アントニーペック氏)で種牡馬として繋養生活を送っています、ハットトリック(HAT TRICK=1試合で1選手が3得点以上を挙げることの意味(サッカー用語)・2001年4月26日生まれ・追分ファーム(北海道・勇払郡・追分町(2006年に早来町と合併・現・安平町)追分向陽1233-1)・生産・毛色・青鹿毛)に敗れ、8着に終わったのが、最後の出走レースとなりました。 デュランダルは、2005年11月29日付で競走馬登録を抹消し、引退しました。 通算成績は18戦8勝・2着4回(内・海外・1戦0勝)にも及び、獲得した賞金も、5億943万200円にも及びました。 2006年から、北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地の、社台スタリオンステーション・早来で種牡馬としてスタッドインした、デュランダルは、これまでに、ジュエルオブナイル・デュランダルガイ・エリンコートなどの産駒を輩出、2010年の種牡馬シーズンからは、同じ、北海道・沙流郡・日高町・門別の、ブリーダーズスタリオンステーションに移動し、繋養生活を送っていて、今年度も42頭の繁殖牝馬に種付けを行っていましたが、今年の7月に

ユートピア 牡・13歳に。

フォーティーナイナーと、ドリームビジョンの仔・ユートピア(UTOPIA)が、今年の3月1日(日本時間・3月2日)・牡・13歳になりました。 ユートピアとは、イギリス語で理想郷という意味です。 ユートピアは、2000年3月1日・ノーザンファーム(北海道・勇払郡・早来町(現・安平町)・源武275番地)で生まれた日本産馬で、当歳の時セールにて、金子真人氏(現・金子真人ホールディングス株式会社)に競り落とされ、育成されており、2歳~6歳まで、中央競馬の橋口弘次郎厩舎(栗東)に預託され、地方交流を含めて、30戦8勝の成績を残し、ユニコーンステークスなどの特別競走を制覇するなどの成績を残しました。 2006年・ドバイ・ワールドカップ・ゴドルフィンマイル・1着を最後に、チーム・ゴドルフィンにトレードされ、5月13日付で、中央競馬の登録を抹消された、ユートピアは、アメリカに渡り、ウエストチェスターハンデキャップを制覇するなど活躍、2007年に現役を引退するまで、34戦9勝の成績を残しました。 2008年から、ニューヨーク州・サラトガスプリングパリスの、マクマホン・サラトガ・サラブレッズで、種牡馬として繋養生活を開始した、ユートピアは、一時・マクドネル・ランチ・オブ・テキサスでも繋養生活を送ったこともありましたが、2013年度の種付け料は、5000ドルと下がってはいるものの、元気に繋養生活を送っております。 UTOPIA「ヒュヒュヒュヒュ~ン!」 メドウビューファームに連れてきた、ユートピアは、放牧を始めました。 UTOPIA「ブルルルルルルルル。」 UTOPIA「ヒュヒュヒュヒュ~~~ン!」 UTOPIA「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ユートピアは、大きい脚で、サラトガスプリングスパリスの大地を、蹴っていました。 すでに昨年の種付けを終えており、初年度産駒が競走馬として走っている事もあれば、ユートピアも、2013年のシーズンを迎えることになるとの事です。 スタッフが「ユーティー」の声とともに、蹴っていた、ユートピアが駆けてきました。 UTOPIA「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」 スタッフは、「ユーティー、誕生日、おめでとう。」というと、ユートピアは、「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」といなないては、喜んでおり、13歳の

すっぴんでかわいい鹿毛の馬・女傑ウオッカの所属厩舎が、2012年産駒の預託契約を断る。

栗東トレーニングセンターにある名門厩舎の1つで、すっぴんでかわいい鹿毛の馬・女傑・ウオッカを輩出した厩舎・角居勝彦厩舎が、管理調教師の、角居勝彦さんが、馬房削減に猛抗議し、2012年産駒の、2歳馬の産地馬体検査と同時に行う、預託契約を交わすことを断るという、前代未聞の事態に波紋が広がっております。 2010年4月1日(日本時間・4月2日)から、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンにある、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで繁殖牝馬として繋養中で、今年の4月から、世界最強馬・フランケル(FRANKEL)と種付け交配をする為にイギリス・サフォーク州・ニューマーケット近郊の、ジュモントファーム・バンスデットマナースタッドに来て繋養生活中で、4月23日の午前5時15分(日本時間・午後13時15分)に安産で、第3仔・VODKA2013(ウオッカの2013年産駒という意味・毛色・鹿毛・牝・父・凱旋門賞馬・シーザスターズ)を出産したばかりの、女傑・ウオッカ(VODKA・牝・9歳)が、アガ・カーンスタッド・ギルタウン・シェシューン分場で2012年4月24日・午前10時45分(日本時間・午後18時45分)に安産で出産した、同じ、凱旋門賞馬・シーザスタースを父に持つ、VODKA2012(ウオッカの2012年産駒という意味・毛色・鹿毛・牝・1歳)は、秋には、イギリス・サフォーク州・ニューマーケット・オランダ・アムステルダム経由で、日本へ渡航し来日する予定だが、今回の角居勝彦調教師の、馬房数削減に対する猛抗議による、2歳馬の預託契約を交わすことを断るという、前代未聞の事態で、同じ、栗東トレーニングセンターの、村山明厩舎への変更などへの対応を迫られるという事態に陥ることも予想されており、今後・論議を呼びそうです。

女傑・ウオッカ IN ジュモントファーム・バンスデットマナースタッドファーム

2013年5月・イギリス・サフォーク州・ニューマーケット郊外・ジュモントファーム・バンスデットマナースタッドファーム 先月から、女傑・ウオッカは、世界最強馬・フランケル(FRANKEL)と種付け交配を6月に行うとの事で、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、アガ・カーンスタッド・ギルタウン(シェシューン・シャーリーマウント)から海を渡って来てやって来ました。 この間の4月4日(日本時間・4月5日)には、女傑・ウオッカは牝・9歳の誕生日迎えたところです。 3月まで、アガ・カーンスタッド・ギルタウン(シェシューン・シャーリーマウント)でマタニティライフを送りながら生活してきた、女傑・ウオッカは、今回・世界最強馬・フランケル(FRANKEL)と種付けを行うため移動してきたとの事です。 4月下旬、女傑・ウオッカは、陣痛が始まり、お産が始まりました。 昨年の6月にアイルランド・キルディア近郊・ギルタウンの、アガ・カーンスタッド・ギルタウン(シェシューン・シャーリーマウント)で種付け交配を終えてから、マタニティライフを送ってきた、女傑・ウオッカ、順調に進みました。 4月23日の午前5時15分(日本時間・午後13時15分)に、女傑・ウオッカは、VODKA2013を無事に出産しました。 あれから数か月が過ぎて、女傑・ウオッカは、VODKA2013を隣の馬房に移していました。 VODKA「ヒュヒュヒュ~ン。」 イギリス・サフォーク州・ニューマーケット郊外の、ジュモントファーム・バンスデットマナースタッドファームに来た、女傑・ウオッカ。 2010年の4月から繁殖牝馬として繋養生活を送っており、すでに2頭を出産し、内1頭は、日本に逆輸入されております。 5月中旬、女傑・ウオッカは、バンスデットマナースタッドファームの放牧場に出しました。 VODKA「ヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルル。」 VODKA「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ウオッカは、ニューマーケット郊外の大地を、大きい脚で走って、回っていました。 明け9歳の牝馬とは想えない、鹿毛の馬体は、イギリス・サフォーク州・ニューマーケット郊外の放牧場では、走り耐えた、現役時代とは違う走りを見せておりました。 すっぴんでかわいい鹿毛の鹿毛の馬で