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女傑・ウオッカ IN ジュモントファーム・バンスデットマナースタッドファーム

2013年5月・イギリス・サフォーク州・ニューマーケット郊外・ジュモントファーム・バンスデットマナースタッドファーム 先月から、女傑・ウオッカは、世界最強馬・フランケル(FRANKEL)と種付け交配を6月に行うとの事で、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、アガ・カーンスタッド・ギルタウン(シェシューン・シャーリーマウント)から海を渡って来てやって来ました。 この間の4月4日(日本時間・4月5日)には、女傑・ウオッカは牝・9歳の誕生日迎えたところです。 3月まで、アガ・カーンスタッド・ギルタウン(シェシューン・シャーリーマウント)でマタニティライフを送りながら生活してきた、女傑・ウオッカは、今回・世界最強馬・フランケル(FRANKEL)と種付けを行うため移動してきたとの事です。 4月下旬、女傑・ウオッカは、陣痛が始まり、お産が始まりました。 昨年の6月にアイルランド・キルディア近郊・ギルタウンの、アガ・カーンスタッド・ギルタウン(シェシューン・シャーリーマウント)で種付け交配を終えてから、マタニティライフを送ってきた、女傑・ウオッカ、順調に進みました。 4月23日の午前5時15分(日本時間・午後13時15分)に、女傑・ウオッカは、VODKA2013を無事に出産しました。 あれから数か月が過ぎて、女傑・ウオッカは、VODKA2013を隣の馬房に移していました。 VODKA「ヒュヒュヒュ~ン。」 イギリス・サフォーク州・ニューマーケット郊外の、ジュモントファーム・バンスデットマナースタッドファームに来た、女傑・ウオッカ。 2010年の4月から繁殖牝馬として繋養生活を送っており、すでに2頭を出産し、内1頭は、日本に逆輸入されております。 5月中旬、女傑・ウオッカは、バンスデットマナースタッドファームの放牧場に出しました。 VODKA「ヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルル。」 VODKA「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ウオッカは、ニューマーケット郊外の大地を、大きい脚で走って、回っていました。 明け9歳の牝馬とは想えない、鹿毛の馬体は、イギリス・サフォーク州・ニューマーケット郊外の放牧場では、走り耐えた、現役時代とは違う走りを見せておりました。 すっぴんでかわいい鹿毛の鹿毛の馬で

女傑・ウオッカ 第3仔を無事に出産する。

女傑・ウオッカは、タニノギムレットと、タニノシスターの仔、すっぴんでかわいい鹿毛の馬、これが、女傑・ウオッカ。 VODKA「ヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルル。」 2013年4月23日・イギリス・ジュモントファーム・バンスデットマナースタッド。 女傑・ウオッカは、昨年種付け交配を済ませ受胎し、マタニティライフを送ってきたが、4月・今まで過ごしてきた、アガ・カーン・スタッド・ギルタウン(シェシューン・シャーリーマウント)を離れ、隣国・イギリス・ジュモントファーム・バンスデットマナースタッド移動して、過ごしてきたが、4月下旬、遂にお産が始まったのでした。 3月まで、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンから少し離れた、アガ・カーン・スタッド・ギルタウン(シェシューン・シャーリーマウント)にいた、女傑・ウオッカは、海を渡って、イギリス・ジュモントファーム・バンスデットマナースタッドに来ていて、陣痛が始まっていました。 午前5時15分(日本時間・午後13時15分)、女傑・ウオッカは、待望の第3仔(父・凱旋門賞馬 シーザスターズ・牝・0歳・毛色・鹿毛)を、無事・出産しました。 ウオッカは過去・2回、アガ・カーン・スタッド・ギルタウン(シェシューン・シャーリーマウント)で、出産して来ましたが、今回は、海を渡って、イギリスで次女を出産するに至ったのです。 女傑・ウオッカも、4月4日(日本時間・4月5日)で、牝・9歳になったばかりで、繁殖牝馬生活も、3年目を迎えました。 すっぴんでかわいい鹿毛の馬、女傑・ウオッカの、今年の配合種牡馬は、世界最強馬・フランケル(FRANKEL)で、6月に種付け交配を行うことになっており、うまくいけば、来年の2014年の春には、ウオッカの2014が生まれる予定になっている様で、今後、繁殖牝馬 女傑・ウオッカの更なる種付け配合による、第4仔の誕生を期待したいと想い、願っております。

ハットトリック 牡・12歳の誕生日を迎える。

サンデーサイレンスの後継産駒で、トリッキーコードの仔でもある、マイラーホース・ハットトリックが、今日(日本時間・明日)で、牡・12歳の誕生日を迎えました。 ハットトリックは、2001年4月26日生まれの日本産馬で、現役時代、3歳~7歳まで、中央競馬で競争生活を送り、21戦8勝の成績を残していて、2005年の最優秀短距離馬に選定するなど活躍しましたが、2007年5月8日には現役を引退、5月10日には競走馬登録を抹消されました。 ハットトリックは、2007年6月に種牡馬としてアメリカに輸入され、2008年から、ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにあるウォルマックファームを拠点に、オーストラリア・アルゼンチンでも繋養生活を送るなど、4年間を過ごしました。 ハットトリックが、牡・10歳になった2011年11月中旬には、現在の繋養先で、同じケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、お隣のゲインズウェイファームに移り、翌2012年から、新繋養馬として生活を開始し、現在も種牡馬として生活を送っております。 2013年の種付け料も、15000ドルで設定されており、2013年~2014年の種牡馬シーズンも、さらに活躍が期待される、ハットトリックの、今後の大物産駒の誕生を期待したいと想い、願っております。 チャンピオンマイラーホース・ハットトリック、牡・12歳の誕生日おめでとう、今後とも、種牡馬としていい産駒を輩出して生んで行ってね。

ウオッカ・9歳の牝馬になる。

ウオッカは、タニノギムレットを父に、タニノシスターを母に持つ、すっぴんできれいな、鹿毛の女の子の馬、それが、女傑・ウオッカ。 VODKA「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 VODKA「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 VODKA「パカッ。」 VODKA「ヒュヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルル。」 2013年・アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウン。 アガ・カーン・スタッド・シェシューンから、少し離れた、アガ・カーン・スタッド・シャーリーマウントの繁殖厩舎で、過ごしている、女傑・ウオッカは、緑の島の空気を眺めながら、過ごしております。 VODKA「ブルルルルル、ブルルルル。」 ウオッカは、大きい鼻息で鳴らしながら、過ごしております。 VODKA「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」 ウオッカは、タニノギムレットとタニノシスターの仔、すっぴんでかわいい鹿毛の馬、ミロのビーナスの額の顔と鬣が凛々しく、大きく成長して行く馬でいてほしい願いが込められている、鹿毛のサラブレッド、これがウオッカです。 VODKA「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」 アイルランド・アガ・カーンスタッド・シャーリーマウント、ウオッカは、たくましい、牝馬のサラブレッドに成長しました。 VODKA「ヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュ~ン。」 ウオッカは、大きいいななきを鳴らしてやりました。 ウオッカが、アガ・カーンスタッドに、繁殖牝馬としてやって来たのは、2010年3月16日(日本時間・3月17日)の事です。 遠征先の、ドバイから、イギリス経由で、アガ・カーン・スタッドに来ました。 2010年の、6月3日(日本時間・6月4日)・2度も不受胎をへて、3度目の種付け交配で、ようやく、シーザスターズの種付け交配も無事・受胎し、成功した、女傑・ウオッカ、2011年5月2日になり、初年度産駒を出産させました。 その後、2012年4月24日には、1年目産駒を出産させた、女傑・ウオッカは、昨年の 6月になり、シーザースターズと再度・種付け交配を行い、見事受胎され、成功しました。 現在 女傑・ウオッカは、春の第3仔の出産シーズンを控えており、優雅なマタニティライフ送っております。 昨年、女傑・ウオッカの生

女傑・ウオッカ・第3仔を受胎、来年の出産にむけて、マタニティライフを送る。

2010年4月1日(日本時間・4月2日)から、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、AGA KHAN STUD・GILLTOWN(アガ・カーンスタッド・ギルタウン)にて、繁殖牝馬として、繋養生活を送っている、すっぴんで、かわいい鹿毛の馬 女傑・ウオッカ(VODKA)が、今年も、父で、凱旋門賞馬・シーザスターズとの間で種付け配合を行い、第3仔を無事に受胎、成功したことが判明しました。 女傑・ウオッカは、2004年4月4日生まれの牝・8歳馬で、2010年の3月4日(日本時間・3月5日)に、ドバイ・メイダン競馬場で行われた、マクトゥームチャレンジ・ラウンド3で、レッドディザイアの8着に終わったのを最後に、鼻出血症がもとで、惜しくも現役を引退、イギリス・サフォーク州・ニューマーケットにある、サウスフィールド・ステーブル経由で、3月16日・朝・8時30分(日本時間・午後・17時30分)に、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、AGA KHAN STUD・GILLTOWN(アガ・カーンスタッド・ギルタウン)に到着し、同年の4月1日(日本時間・4月2日)から、同場で、繁殖牝馬として、繋養生活を送って送っており、今年で、2年目を迎えたところで、4月4日( 日本時間・4月5日)には、牝・8歳の誕生日を迎えた、牝馬のサラブレッドです。 今年の、女傑・ウオッカは、4月24日に、待望の第2仔を、午前・10時45分(日本時間・午後18時45分)に、安産で出産したのを始め、6月には今年度の配合種牡馬で、凱旋門賞馬のシーザスターズとの種付け配合が、昨年度に続いて行われ、検査で無事・受胎が確認され成功しました。 翌日から、女傑・ウオッカは、今年・3回目のマタニティライフを送リ始めました。 この間、女傑・ウオッカの生産牧場で、北海道・日高郡・新ひだか町にあった、カントリー牧場が、代表者の谷水雄三氏が、高齢の為、閉鎖・解散し、競走馬の自家生産事業から撤退することになり、3月末で、昭和38年(1963年)の開設以来、48年間行ってきた牧場運営に終止符を打ち、 生産設備と、女傑・ウオッカの母・タニノシスターなどの繁殖牝馬・1歳馬を、岡田スタッド(代表・岡田牧雄氏)へ、育成設備を千代田牧場と、同じ日高郡・新ひだか町内の牧場へ譲渡されました。 (女傑・

ジャングルポケット(5)

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいくて、たくましい脚をもつ、鹿毛の男子の馬、それが、ジャングルポケットです。 ジャングルポケット「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ジャングルポケット「パカッ。」 ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」 2003年、ジャングルポケットは、生まれ故郷・北海道・勇払郡・早来町(現・安平町)・早来源武275番地の、ノーザンファームに隣接する、社台スタリオンステーションに到着、ここで、種牡馬として、繋養生活を送ることになったのです。 ジャングルポケット「ブルルルル、ブルルルル。」 スタッフ「ジャングルポケット、ここで、種牡馬として繋養して行こう。」 ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」 ジャングルポケットは、放牧場に行き、放牧されました。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」 ジャングルポケットは、大きい雄叫びで、いなないてやりました。 ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、雄大な北海道の大地を走りながら、かわいい鬣と、きれいな鹿毛の馬体を見せてやる、おとなしい素直な馬、それが、ジャングルポケットです。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ブルルルルル。」 ジャングルポケットは、大きくていい牧草をはんでやりました。 「もぐもぐ。」 ジャングルポケットは、大きい牧草をはみながら、優しく、たくましい鹿毛の馬に成長する馬です。 18歳になった現在も、種牡馬として、繋養生活を送っている、ジャングルポケット、これまでに多くの牝馬に種付けを行い、多くの牡馬・牝馬を輩出してきた、ジャングルポケットの、今後のさらなる大物産駒の誕生を期待したいと想い、願っております。 (終)

ジャングルポケット(4)

2001年の競馬が終わり、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、鹿毛の馬・ジャングルポケットは、2001年の年度代表馬・最優秀3歳馬に選出されました。 ジャングルポケットは、雄大な北海道の牧草が育てた、かわいい鹿毛の馬です。 翌年、ジャングルポケットは、阪神大賞典に駒を進めるも、ナリタトップロードの2着、続いて出走した天皇賞・春も、マンハッタンカフェを捕えることができず2着に敗れた。 その後、ジャパンカップに連覇をかけて、ジャングルポケットは出走するが、5着と振るなかった。 2002年12月22日、有馬記念にも出走したが、シンボリクリスエスの7着に終わったが、レース後、腰部筋肉痛と、左前蹄球炎を発症したことが検査で判明、協議の結果、現役引退を決め、ジャングルポケットは、2000年のデビュー以来、長く続いてきた、現役競走馬生活に終止符を打ち、引退することが決まったのです。 こうして、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいい鹿毛の男馬・ジャングルポケットは、競争生活に別れを告げました。 2003年1月・ジャングルポケットの引退式が、京都競馬場で行われ、多くのファンに惜しまれつつ、ジャングルポケットは、ターフに別れを惜しみ、去っていきました。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」 (その5へ。)