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ハットトリック 現役引退から、8年。

今年の5月8日で、マイラーチャンピオンホース・ハットトリックが、現役を引退して、8年が過ぎました。 2001年4月26日・北海道・勇払郡・追分町(現・安平町)の、追分ファーム生産の、日本産馬の靑鹿毛馬である、ハットトリックが、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクの、ウォルマックファームなど、海外の牧場からシャトル種牡馬としての、スタッドインの要請オファーが来ていて、それに馬主のキャロットファームも応じることになり、管理厩舎の、角居勝彦調教師(栗東トレーニングセンター)と今後の対応について協議した結果、現役引退を決め、発表されました。 マイラーチャンピオンホースで、2005年の最優秀短距離馬にも選定されるなど、21戦8勝の成績を残した、サンデーサイレンスとトリッキーコードの仔・ハットトリックは、5月10日付けて競走馬登録を抹消、馬運車で、すでに閉鎖された、山元トレーニングセンターにむかい、ここで、出国検疫検査を、5月26日まで受けました。 2007年5月27日・ハットトリックが、日本を離れる時が来ました。 馬運車で、空港に移動していた、ハットトリックは、ストールに積み替えられて、ストールごと飛行機に積み込まれました。 ハットトリックは、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、ウォルマックファームでのスタッドインにむけて離陸し、名残惜しい日本を後にしました。 あれから、8年が過ぎました。 ハットトリックは、2007年、種牡馬としてスタッドインする為、アメリカに輸入され、2008年から、ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、ウォルマックファームを拠点に、オーストラリア・インディペンデントスタリオンズ アルゼンチン・エルマリン牧場などで、シャトル種牡馬として繋養生活を4年間送りました。 その後・2011年11月上旬、マイラーチャンピオンホース・・ハットトリックは、10歳の男馬に成長した時、同じ、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、お隣のゲインズウェイファームに売却、同月中旬には、同ファームに移動しました。 マイラーチャンピオンホース・ハットトリックは、2012年~2013年の種牡馬シーズンから、ゲインズウェイファームで新生活を開始していて、現在に至って

HAT TRICK ハットトリック 牡・14歳の誕生日を祝う。

2001年生まれで、サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔で、2008年から、種牡馬としてアメリカで繋養生活を送っている、マイラーチャンピオンホース・ハットトリックが、4月26日(日本時間・4月27日)に、ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクのGAINESWAY FARM(ゲインズウェイファーム)で、牡・14歳の誕生日を迎えました。 イギリス語のサッカー用語で、1試合で1選手が3得点以上を挙げることの意味の、ハットトリックは、北海道・勇払郡・追分町(現・安平町)追分向陽1233-1の追分ファームの生産になる、日本産の青鹿毛のサラブレッドで、現役時代・キャロットファームの所有馬として、美浦・清水 美波(しみず よしなみ) 栗東・角居勝彦(すみい かつひこ) 両厩舎に所属し、マイルチャンピオンシップ・香港マイルなど、21戦8勝の成績を残していて、2005年の最優秀短距離馬にも選出されるなど、日本・香港で競走馬生活を送るなど活躍しました。 その後、牡・6歳の時の2007年5月8日に、現役引退を発表、5月10日付で競走馬登録を抹消された、ハットトリックは、宮城県・亘理郡・山元町にある、山元トレーニングセンター(すでに閉鎖済)にて、出国検疫検査を受けた後、5月27日・飛行機で名残惜しい、日本を後にしました。 マイラーチャンピオンホース・ハットトリックは、2007年6月に、種牡馬としてスタッドインするため、アメリカに輸入され、2008年から、ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、Walmac Farm(ウォルマックファーム)を拠点に、シャトル種牡馬として、4年間、オーストラリア・インディペンデントスタリオンズ・アルゼンチン・エルマリン牧場などで繋養生活を送りました。 ハットトリックは、牡・10歳の時の、2011年11月初旬・同じケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、お隣の、GAINESWAY FARM(ゲインズウェイファーム)に売却され、11月中旬には、2008年のスタッドイン以来、4年間繋養生活を送った、Walmac Farm(ウォルマックファーム)を後に移動しました。 現在・ハットトリックが繋養生活を送っている、GAINESWAY FARM(ゲインズウェイファーム)には、2011年の11月中旬から来ており、2

ブエナビスタ ついに初年度産駒を出産する。(3)

2015年2月、ブエナビスタは、ノーザンファームの馬房にいました。 ブエナビスタ「ヒヒ~ン。」 ブエナビスタは、大きくてかわいい女の子の馬、それがブエナビスタです。 ブエナビスタのいる、ノーザンファームの繁殖牝馬厩舎には、今年から、新顔の繁殖牝馬が入っております、イタリア語で貴婦人という意味の、ジェンティルドンナです。 ジェンティルドンナは、ジェンティーの愛称で知られております。 昨年のグランプリ・有馬記念制覇を最後に引退したもので、今年から同ファームで繁殖牝馬生活をはじめました。 父がディープインパクトで、母がドナブリーニという、牝馬であり、ドバイ・シーマクラッシックに1回・優勝した、鹿毛のサラブレッドです。 ジェンティルドンナも、ブエナビスタと同様に、年度代表馬にも選出された牝馬の1頭です。 初年度産駒の配合種牡馬も、キングカメハメハになるのか、ハービンジャーになるのか、今後の活躍を期待したい1頭です。 スペイン語で、素晴らしい眺め・絶景という意味であり、2010年の年度代表馬にも選出されるなど活躍を見せた馬で、2012年から、繁殖牝馬として、北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地の、ノーザンファームで繋養生活を送っている馬で、今回・初年度産駒を無事、出産し、母・ブエナビスタとして、新たな活躍を始めた、スペシャルウィークとビワハイジの仔・ブエナビスタ、初年度産駒・ブエナビスタの2014は、順調に育てて来れば、2016年には競走馬デビューすることになっており、母・ブエナビスタがなしえなかった、ドバイワールドカップ・シーマクラッシックなどの国際競争を、初年度産駒・ブエナビスタの2014に託して、参戦するに違いありません。 (終)

ブエナビスタ ついに初年度産駒を出産する。(2)

2014年2月8日。 ブエナビスタは、ブエナビスタの2014といっしょに、ノーザンファームの放牧場に連れていき、初めての産駒をご披露した。 母・ブエナビスタとなり、繁殖牝馬となったブエナビスタ、今回・ブエナビスタの2014という、初年度産駒を出産した、ブエナビスタも、明け9歳になったのです。 2015年・ノーザンファーム。 ブエナビスタは、牝・9歳になりました。 ブエナビスタ「ヒヒヒヒ~ン、ブルルルル。」 ブエナビスタは、大きないななきで、答えていました。 すでに、初年度産駒・ブエナビスタの2014も、1歳になっており、幼年期を過ごしています。 ブエナビスタ「ブルルルル、ブルルルル。」 ブエナビスタは、大きい鼻息を鳴らしていました。 ブエナビスタ「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン!」 ブエナビスタ「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」 ブエナビスタは、大きいいななきを鳴らしていました。 翌日のあさ、ブエナビスタは、放牧場へつれていきました。 ブエナビスタ「カポ、カポ、カポ、カポ、カポ。」 ブエナビスタは、大きい蹄を鳴らしながら、放牧場へ行きました。 ブエナビスタ「ブルルルル。」 ブエナビスタ「ヒヒ~ン。」 ブエナビスタ「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ブエナビスタは、大きい蹄でけってやりました。 競走馬時代の、ブエナビスタは、桜花賞・ヴィクトリアマイルなど、重賞制覇を果たした、黒鹿毛の馬でした。 ブエナビスタ「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ブエナビスタ「パカッ。」 ブエナビスタ「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒ~ン。」 ブエナビスタは、おおきいいななきを鳴らしてやりました。 ブエナビスタ「ブルルルルルルルル。」 ブエナビスタは、大きい尿をだしてやりました。 ブエナビスタ「バシャーーーーーー!」 北海道の大地に育ったのか、ブエナビスタは、いいおしっこを出してやりました。 ブエナビスタは、大きくて、気持ちいいおしっこを出してやりました。 ブエナビスタは、スペシャルウィークを父に、ビワハイジを母に持つ、たくましくて、かわいい最強の女の子の馬です。 ブエナビスタ「ヒヒ~ン。」 (その3へ)

ブエナビスタ ついに初年度産駒を出産する。

ブエナビスタは、スペシャルウィークとビワハイジの仔、スペイン語で素晴らしい景色・絶景という意味を持つ、美しい黒鹿毛の牝馬のサラブレッド、それが、ブエナビスタです。 ブエナビスタ「ヒヒ~ン、ブルルルル。」 北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地にある、ノーザンファーム。 2012年から、ブエナビスタは、繁殖牝馬として、繋養生活を送っております。 ブエナビスタは、現役時代・栗東・松田博貨厩舎に所属し、23戦9勝(内・21戦9勝は、中央競馬で挙げたもの。)の、成績を残した、ビワハイジの2006が血統名のサラブレッドです。 半姉には、フランス語で生きる喜びという意味の、ジョワドヴィーヴル 半妹には、フランス語で王家の血脈という意味の、サングレアル(現役競走馬として、活躍中です。)が、います。 (ただ、ジョワドヴィーヴルは、鳴尾記念にむけて調教中に、骨折による、安楽死がもとで惜しくも登録を抹消された、ご冥福を祈りたい。) ブエナビスタの母・ビワハイジも、2013年に、ディープインパクトの間に、ビワハイジの2013を出産したほか、今年の2月には、フランス語で金細工師という意味の、オルフェーヴルの間にも、ビワハイジの2015を無事に出産したとの事で、牝・22歳のビワハイジは、ビワハイジの2015の出産をもって、繁殖牝馬生活を終えて引退したとの事です。 ブエナビスタの初年度配合種牡馬は、キングカメハメハで、同馬は2012年にも種付け交配をして、受胎したものの、2013年の春に流産しているので、同年・再度、キングカメハメハと種付け交配を行い、受胎して成功しました。 2014年2月3日 午後21時15分。 ブエナビスタは、当初の1月22日より、12日遅れたが、待望の初年度産駒・ブエナビスタの2014を、無事に出産したのです。 ブエナビスタにとって、初めての仔馬となった、ブエナビスタの2014は、キングカメハメハを父に持つ馬です。 引退レースとなった、グランプリ・有馬記念では、オルフェーヴルの7着に敗れ、有終の美を飾ることができなかった、ブエナビスタ、キングカメハメハを父に持つ、ブエナビスタの2014では、さらに競走馬としての期待を背負い走っている仔馬になるのです。 (その2へ。)

ユートピア(ユーティー) トルコでも繫養生活を開始する。(2)

2014年・秋。 アメリカ・ニューヨーク州・サラトガスプリングスパリスのマクマホン・サラトガ・サラブレッズから、ケンタッキー州・レキシントンの、エルメンドルフファーム経由で、長く飛行機に積み込まれて、渡航を続けて来た、赤い栗毛のサラブレッド・ユートピア(ユーティー)が、新天地・トルコの空港に降り立ち、ここから、馬運車に乗せられて、新繋養先の、カラカベイ・ナショナル・スタッドにむかい、ようやく、到着しました。 UTOPIA「ブルルルルルルル。」 UTOPIA「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン!」 イギリス語で理想郷という意味の、ユートピア(ユーティー)は、新しい繋養先の、カラカベイ・ナショナル・スタッドの種牡馬厩舎に入厩、着地検査を受けました。 着地検査を終えた、ユートピアは、同厩舎で疲れをいやしていました。 前の繋養先の、マクマホン・サラトガ・サラブレッズにいた時に比べて、たくましい栗毛のサラブレッドに成長しましたが、トルコでの繫養生活は、初めての経験になります。 カラカベイ・ナショナル・スタッドの放牧場に放たれた、ユートピアは、大きい蹄を鳴らしました。 UTOPIA「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 UTOPIA「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」 UTOPIA「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ユートピアは、大きい雄たけびで、いななきました。 カラカベイ・ナショナル・スタッドの種牡馬厩舎の、ユートピアは、フォーティーナイナーを父に、ドリームビジョンを母に持つ、栗毛のかわいいサラブレッドです。 2007年12月23日~2014年8月31日まで、ニューヨーク州・サラトガスプリングスパリスの、マクマホン・サラトガ・サラブレッズで、繫養されてきた、ユートピアは、サリーズドリーム・サロピア・フォーエヴァーユートピアを輩出した、栗毛の種牡馬でした。 ユートピア(ユーティー)が、カラカベイ・ナショナル・スタッドに来たのは、2014年秋の事で、それまで繫養生活送ってきた、デヴァインライトが死亡した為、アメリカ・ニューヨーク州・サラトガスプリングスパリスの、マクマホン・サラトガ・サラブレッズで繋養生活を送っていた、ユートピアを新たに購入し、トルコ繋養種牡馬に加えたのです。

ユートピア(ユーティー) トルコでも繫養生活を開始する。

現役時代・日米で、34戦9勝を挙げ、2008年から、アメリカ・ニューヨーク州・サラトガスプリングスパリスの、Mcmahon Saratoga Thoroughbreds(マクマホン・サラトガ・サラブレッズ)で長く繋養され、昨年・トルコのエージェントに売却された、赤い栗毛の男馬・UTOPIA=ユートピア(ユーティー)が、トルコのカラカベイ・ナショナルスタッドに到着、着地検査を受けたあと、トルコでの新生活を開始しました。 ユートピア(ユーティー)は、2000年3月1日生まれ、北海道・勇払郡・早来町(現・安平町)・早来源武275番地のノーザンファーム・生産のサラブレッドで、と1歳の時、1歳セールで、金子真人氏(後に、金子真人ホールディングス(株)へ名義変更された。)に購買され、栗東トレ-ニングセンターの、橋口弘次郎厩舎に預託され、シクラメンステークスなど、地方交流競走も含めて、日本競馬にて活躍しました。 2006年3月24日・ドバイ・ナドアルシバ競馬場で行われた、ドバイワールドカップ・ゴドルフィンマイル(1着)を最後に、ユートピア(ユーティー)は、ドバイの、シェイク・モハメド殿下をリーダーとする、チーム・ゴドルフィン(ゴドルフィン・レーシング社)に、400万ドルで売却され、イギリス・モールトン・パドックスの、サイード・ビンスルール厩舎に移籍、さらに2007年にアメリカへ渡りました。 2007年5月2日(日本時間・5月3日)、アメリカ・ニューヨーク・ベルモントパーク競馬場で行われた、ウエストチェスターハンデキャップで、ユートピア(ユーティー)は、復活の勝利を挙げました。 2008年から、アメリカ・ニューヨーク州・サラトガスプリングスパリスの、マクマホン・サラトガ・サラブレッズで、種牡馬となった、ユートピア(ユーティー)は、サリーズドリーム・サロピア・フォーエヴァーユートピアなどを輩出する、栗毛のサラブレッドに成長し、一時は、テキサス州の、マグモット・ランチ・オブ・テキサスに移動して、テキサス州繫養種牡馬としては、唯一の日本産馬として繫養生活を送ったことがありました。 2014年6月・14歳の時、ユートピア(ユーティー)は、トルコのエージェントに売却され、カラカベイ・ナショナル・スタッドで新繋養生活をすることになり、9月上旬・2008年の繋養開始して以来、